母子家庭の毒親の実態

母子家庭で育ち、母が毒親と知るまでの過程や、その実態を書いていきたいです。

母から連絡が来る時は、困り事の時だけ。

こんにちは!

ずいぶん投稿に間が空いてしまいました。


うちの母の事を、子供には、『ママのばあば』と呼ばせています。

旦那の方は、『じいじ、ばぁば』。


子供が、時々、「ママのばあばに会いたい」と言うんですよ。

それを、手紙やメールで母に伝えるのですが、いつも「仕事が忙しいから、落ち着いたら…」と濁されます。


そんな母から、急に会いたいと連絡が来る事があるのです。

理由は、母自身が困っているから。


この前、呼び出されたのは、
実家の隣を水道管工事されたら、
家の外壁にヒビが入った。

母一人じゃ、心細いから、実家に旦那と来て、工事関係に電話するのも立ち会ってほしいと。

私は最初、「自分で電話すれば、いいでしょ。実家に住んでないのに、ヒビを見ても分からないよ。」と言いましたが。

母が聞かないので、しぶしぶ行きました。


すると、ヒビなんて大したことない。

塗装が少し割れただけ。

母は、「そうとうな事が無い限り、あなた達には連絡しないと思ってる。」と言いました。

『この程度で私達を呼んだのか?』

実家までは、電車で片道2時間近くかかります。


母は、勝手に事を進めて、
「これは工事の人と後日、
旦那にも立ち会ってもらって、
みんなで解決しなくちゃ!」
と日程も決められてしまいました。


私が、「うちも今後、開業しようとしてたりするし、生活がどうなるか分からない。
だから、今みたいに、すぐ来れる状況は難しいからね。」と釘をさしましたが。


母は、「あなたか、旦那さん、どっちかが仕事休みの時に来てもらうのはダメ?
ねえ、ダメ?」と、食い下がってくる。


もう、会話にならない。


帰ってから、母から電話で「今日はありがとう。旦那さんの事、見直しちゃった!」と言い始めたのです。

私が実家をでる時、
旦那の事を「ヤクザだ。学費出せ。ろくでもない。」等言っておきながら、
どの口が言うんだと。


私も静かに怒りました。

そして、勝手に約束された日は、
ちょうど子供が体調を崩して救急にもかかっていたので、断りました。

母は、「あ、そう。じゃあ来れないのね。」だけ。

孫の心配は無し。

流石に、「救急かかってるんだけど!」
と言っても、
「それは大変ね。」

それ以来、また音信不通です。


あー、孫に対してもこれかぁ。

母とは、完全に距離を置くことにしました。




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母から、お金を求められる。

こんにちは☆

今日は、母の毒親だなと確信したエピソード。

実家は、一軒家ですが、借地です。

その契約は、亡くなった祖父がしていました。

借地の更新の時期がきたのです。

30年契約で、70万。


母は、この時、やっと働いてましたが。

貯金を使い果たして、70万なんて、ムリ。

真っ先に私に連絡が来ました。


旦那と相談して、「私達が出してもいいんじゃないか」と。

それを母に、伝えると大喜び。

借りる形で、貸してほしいと。


私は、「うちは幼稚園入園も控えてる。
入学金もかかる。
70万なんて貯金ないから、借金しなきゃいけない。」母に言いました。

母は、「金融機関に行くと、職場に在籍確認が入るから、職場でいいネタにされる。
いじめられるのが嫌だ。
若い娘夫婦なら、返済できるだろうから、借金してでも、お金を出してほしい。」


母は、自分より、子供である私に借金をさせてでも、お金を求めてきました。

私は、あらゆる相談機関に行き、母に尽くしました。

でも、当の母は、全く動きません。


私が、「なんで、自分でもお金を作ろうとしないのか?」と聞きました。

母は、「そんなこと、言われたって分からないわよ!
じゃあ、お金貸してくれないって事ね!
迷惑かけたわね!じゃあね!」
と電話を切りました。


また、私は「旦那の両親は、もう80近い。
里帰りの時も、お金を出している。
夫婦間で、貸し借りを作りたくない。
旦那の両親に何かあった時、私は強く出れない。」と、母に言いました。

母は、「そんなこと、分かってたわよ。」
それで終わりです。


結局、自分が良ければ、子供が借金しようが、夫婦関係が悪くなろうが、関係ないのです。


結局、お金は出しませんでした。


すると、今まで孫の誕生日やクリスマスにプレゼントを送ってくれていた母は、
孫の誕生日をシカト。

物が欲しいわけじゃ、ありません。

ただ、手紙一通、メール一通、
あってもいいじゃないですか。


この親は、孫でさえ、こんな態度をとるんだ。と呆れました。


毒親と確信した瞬間でした。





急遽の里帰り。

こんにちは!

みなさん、産後はどう過ごされてますか?

私は、母とは絶縁状態だったので、
母は頼りにしてませんでした。


しかし、義両親は、70代後半で一人息子の、
待望の初孫!

張り切っちゃって。

姑が勝手に、産まれたら、手伝いにいかなきゃだから!
友達との旅行も行かない!

と言い出す。


私は、普段から、とても気を使う性格な為、
姑に来てもらっても、逆に気疲れしてしまうんです。

気持ちは、ありがたいんですがね。


出産したら、もう姑は暴走。



母から、里帰りしてもいいと言われました。

条件付きで。
友達を招かない事。
子供に必要なお金は、自分で出す事。
でした。


私は、迷いました。
毒親の元へ里帰り…
でも、姑からは逃れたい…

結局、里帰りしました。


退院した3日後です。
理由は、舅がまだ子供を見てないから。

最初、退院の日に来ると言い出したんです。

退院の時間は、私にも分からないし、
断ったのですが。

「マンション行って、居なかったら、
病気行けばいいわよね!!!」
もう、止められません。

私が、退院した、2日後、祝日なので、
その日にお願いしました。


退院してそうそう、私は家事に取りかかりました。

姑から、「犬の毛がすごい!掃除しに来る!」とか言われてたので、頭にきて。

家中ピカピカにしました。

旦那に、子供を抱いててもらい、
授乳とオムツだけはやって。


産後は、身体を休めなければいけないのですが、私の意地でした。


後で、おろが酷くなったり、
体調を崩しました。


里帰り中も、気が抜けませんでした。

母は、「お金が無い、自殺する!」の繰り返し。

母に、里帰りのお礼にと、15万渡しました。

すんなり受け取りましたよ。

里帰り後も、お金で泣きついてきて、10万位渡してました。

バカでしたね。


母は、昔から
「お金が無い!自殺するしかない!
あんたの為にお金を使わなければ、私は生きれたのに!」
と、言ってましたが。

一向に働きませんでした。


2人目欲しいなと、思う時もありますが、
現状、ムリです。




母は、自己中心的で、結婚の時も親らしい事してくれませんでした。

こんにちは!

久しぶりの投稿です。

今回は、私の結婚の時について。


交際3年、同棲をへて結婚しました。

結婚する際、母に手紙を書きましたが。

「勝手にすれば。私には関係ない。」が、母からの返事。

もちろん、こんな状態なので、
結婚式は挙げられませんでした。


義両親からは、何度も「お母さんに会わせて。」と言われましたが、、、

私は、「すみません…」と答える事しか出来ませんでした。

だって、旦那にさえ、会う事を避けている母。
義両親に会わせるのは、無理でした。

現在も、義両親と母は、会った事がありません。


義両親は、しっかり挨拶周りの準備とか、してくれて、お祝いまでしてくれました。


最初、私の親戚は、挨拶周りする予定は無かったのですが。

姑から、「お祝い貰ったのなら、挨拶しなきゃね。」と言われて。

結婚は、家同士の事でもあると気付かされ、
挨拶周りする事に。


母は、何もしてくれないので、
私一人で、親戚中に連絡をして、
「親がする事だとは、思うのですが、こんな状態でして…すみません。
会っていただけませんか?」
と、言って回りました。

親戚は、理解してくれていたので、
快く挨拶を受けてくれました。


親戚から、「あなたは、実家を出て本当に良かったのよ!苦労したわね。」
と言われました。


その後も、私が妊娠を手紙で報告しても、
「いきなり孫なんて言われても、何の気持ちもしないわ。」
と、母は言ってたそうです。


なんだかんだ、里帰りはさせてもらったのですが。

旦那と母が初めて会ったのは、
私が里帰りした時。

つまり、子供が産まれてからです。


でも、その後、旦那と会う機会は、
無いです。


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私は、自殺しようとした事があります。

こんにちは!


今回は、私の自殺しようとした過去について。


私は、現在進行形で心療内科に通院しています。
きっかけは、産後うつを発症したからです。
もう、4年位になります。


実は、過去にも、精神科への通院履歴があります。
私が、高校3年の時です。

都立高校の普通科に通っていたのですが、
先生達との折り合いが悪く。
目をつけられていて、校長室指導まで受けました。
ヤンキーでは無かったですよ。


学校でも居場所が無くて、
家では母から罵倒される毎日。
家にも、居場所がありませんでした。


それで、病んでしまって、自殺未遂したんです。
ネットで自殺の方法を探して、
一番楽そうなのを選びました。
洗剤の、混ぜるな危険!の物をわざと混ぜて、ガス中毒になるというもの。
場所は、密室の風呂場がオススメと書いてあったので、試してみました。

でも、死ねませんでした。


精神科へ行くきっかけは、母が
「自殺の真似事をするから!」と言って、
私を精神科へ連れて行ったから。

私的には、真似事では無かったんですけどね。


精神安定剤や、睡眠薬をたくさん処方されてました。


そんな中、私が進学することになり、
頭金だけ母に出してもらいました。
「これは、ママの命のお金。老後のお金を、あんたに使うんだから、あんたは、ママの命で進学するのよ!
もうママの将来は、自殺しかないのよ。」
と、母から言われ続けました。

でも、母は働いておらず。
私が高校生、祖父は老人ホーム、十分働ける状況なのに。
祖母の遺産で生活をしていて、また、浪費癖もありました。

頭金を出してもらいながら、
こう言うのも何ですが、
よく言えるなと…


ある日、入学式に着るスーツを買いに行きました。

私は、過食症になっていて、毎日、過食嘔吐を繰り返してました。
そのせいで、痩せていた私は、10㎏ほど太ってました。

スーツのサイズも、前は7号だったのが、
9号になってしまい。
身長150㎝と小柄な私には、少し袖や丈が長かったのです。

私は、「多少長くても大丈夫。」と言ったんですが。

母が、「そんなのカッコ悪い!調整してもらいなさい!」と聞きませんでした。

結局、調整してもらって、少し高くついてしまったんです。

帰り道、自分が調整を無理矢理させたくせに、母が怒り出しました。
「あんたがこんなデブにならなきゃ、7号の安いスーツで済んだのに!
調整して、綺麗になるならまだしも、お金かけてもデブはデブ。
醜い子の為に、なんで、こんな金かけなきゃならないのよ!!
あんたは、見た目しか取り柄が無いのに、デブになって、何の価値もないじゃない!!」
母から2~3時間言われ続けました。


精神的に病んでいた事もあり、
母の言葉に耐えられませんでした。
『私には、生きてる価値が無い。
もう、どうにでもなれ。』
こう思いました。

処方されていた薬を、何十錠も一気に飲んだんです。

私は、立っていられなくなり、布団に倒れました。
そこからの記憶はありません。
気付いたら、夜中でした。

自分の部屋の布団で起きて、
『あ、また死ねなかったんだ。
精神科の薬を大量摂取したら、自殺できると思ったのに…』
でした。


母は、私が自殺を図った事は、知らなかったみたいです。
私も、また『自殺の真似事』と言われるのが嫌だったので、言いませんでした。


これが、私の自殺しようとした過去です。


今は、どんなに病んでいても、
子供が居るので、自殺は考えてません。
私が死んだら、子供が困るからです。

私にとって、子供が一番大切な存在です。
子供のために生きています。




母の言葉を信じた私がバカだった。

こんにちは!

前回、私が19歳で家を出た事を、書きましたが、その続きを。


母とは喧嘩別れの様な、絶縁状態が続きました。

私が家を出たのが4月で、
6月に母の誕生日がありました。

私は、まだ実家にいた頃、母の誕生日に温泉旅行をプレゼントしようと考えていました。

でも、絶縁と言われてしまった状態だったので、諦めて、プレゼントを贈りました。
母の誕生石のパールの指輪とネックレスを、セットで贈りました。
たぶん、3~4万円だったと思います。


彼氏と同棲が始まり、しばらくして、
彼氏は会社を辞めました。
超ブラックな会社だったので、辞めるのは良かったんですが。
彼氏、「パソコンで稼ぐ❗」と言い出して、
1年間プー太郎でした。

具体的には、せどりです。

やりたい事をやるのは、良いのだけど、
彼氏、バイトもしなかったんですよ。

私が「自分の資金源位、バイトしたら?税金どうにか相談したら?」と言っても、聞く耳持たず。

どう生活していたか?
私が養ってました。当時の彼氏は、ヒモでしたね。

当時、池袋に住んでいたので、私がガールズバーでフル出勤して、何十万か稼いでいたんです。
ガールズバーは、2年間位やりまして、おかげさまでNo.1にもなりました。


でも、私は病んでました。
「彼氏は、せどりをやって、10万位は稼ぐけど、資金源も私。
生活を回してるのも私。
結婚の話もしてるけど、これじゃ、将来が見えない。」と、泣いてしまう日もありました。

この話は、学生時代からの親しい友達にしかしてませんでした。


親しい友人が、友達の親に私の話をして、
私を心配してくれて、母に電話してきたそうです。
それで、母は、初めて私の状況を知ったらしいのですが。


母は、母で、私もが出ていってから、脱け殻の様になっていたらしく。

親戚がしょっちゅう集まり、母を励ましていたそうです。


そこで、母が、私の状況を話したらしいのですが。
母は、「あの子は、家を出て彼氏と新婚気分でウキウキなんじゃない?!」と、言ってたらしく。

親戚のおじさんが、母に
「そんな事ないんじゃないか?
本当は、苦労してるけど、親に言わないだけじゃないのか?
母親がそんな態度じゃ、子供も頼れないだろ。
一度会って、様子を見てあげた方がいいんじゃないか?」
と言ったそうです。

おじさんの言う通りでした。


本当は、帰りたい気持ちもあったけど、
帰る家が無い。
絶縁されたから、頼れない。


母から、会おうとメールが来て、
1年以上ぶりに会いました。

母から、「ここは、あなたの家だから、いつでも帰って来て良いんだよ。」と言ってもらえました。

私は、嬉しかったです。
信じてしまいました。


それでも結局、彼氏のプー太郎時代は、実家には帰らず。
『自分が好きで離れられなくて、一緒に居るんだから、仕方ない。
別れて、他の男探した方がいいのかもしれないけど。
新しい好きな人が出来るまで、付き合おう。』
と、私は腹をくくってました。


彼氏は、また働き始めてくれて、引っ越しと共に、私も水商売から足を洗いました。
昼間の仕事がしたかったのです。


引っ越したのが、今のマンションなんですけど。

まだ、結婚する前、彼氏と喧嘩したんですよね。

私は、上記の母の言葉を信じてしまったので、「もう実家帰る!」と、キレてしまいました。
泣きながら、裸足で追いかけてくる彼氏(笑)


実家の途中の駅まで行ったのですが、
母に何度、電話しても出てくれない。
実家の電話にも出ない。
メールもシカト。

親戚から、私に電話が来て、
「お母さん、自殺するって言ってる。」と。

自殺は、私が子供の頃から、ずっと言ってたんですが。

『私の電話には、出なくて、
親戚には、電話できるんだ。
母の言葉を信じた私がバカだった。
帰れる家なんて無い。』
そう思い、仕方なく、マンションへ帰りました。


嬉しそうに出迎える彼氏。
内心は、まだムカムカしてましたが、
行き場が無かったので、仕方ない。


彼氏に母の自殺の話をすると、
車を飛ばして実家まで私と行ってくれました。


夜でしたが、家の電気は、明るくて、母は、家に居る様子でした。

何度、ピンポン鳴らしても、出てくれない。

ケータイ、家電、かけても出てくれない。

家電に、「自殺するって、心配して来てます。家の前に居ます。」と留守電入れても、シカト。

何時間か待ちましたが、シカトでした。


後日、また親戚から電話。
「お母さん、この前は、すまなかった。って言ってる。」

『なんで、直接言って来ないんだ?
留守電分かってるなら、普通出てくるだろ。
親戚には、連絡出来ても、私には無いのか!』
と怒りがこみ上げました。


今思えばですけど、「自殺する!」って言ってる人って、まだ自殺しないんですよ。

本当に自殺する人は、何も言わずに死んでゆくと思います。


母には、だいぶ振り回されました。


みなさんの周りにも、もし、「自殺する!」って人がいても、大丈夫です。
言ってるうちは、まだ死にません。


実際、母は、今でも図太く生きています❗


今回、話に出てきた、せどり
せどりって、何?という方、
せどりについて、詳しく書いてあります。
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高校生、彼氏にフラれたら、なぜ身体はらないんだ?と怒られた。

こんにちは☆

以前、中学生の時の彼氏について書きましたが、今回は、高校生の彼氏について。


中学生の彼氏以来、私は高校生まで彼氏は、居ませんでした。

何度か告白されたりありましたが、好きじゃないと、付き合う気になれないのです。


高1になり、体育祭で仲良くなったのは、高3の先輩。
身長180㎝で、イケメンでした。
(よく、B専と言われますが。)

母に写メを見せると、母も顔を気に入りました。

先輩と、毎日メールする様になったのですが。

高校生、もう、色々経験豊富な年頃になってきてるんですよね。

私は、何てメールをしたら、上手くいくか分からず、母に相談してました。
これが間違いでした。

そこから、徐々に母が私のケータイで先輩とメールをする様になったのです。

私は、先輩のことが好きだったので、付き合えるのなら…と思い、黙って従ってました。

私がメールをすると、母は、「そんなつまらないメールじゃ、先輩を繋ぎ止められないわよ!」と怒るのです。


母が私を借りて、恋愛している様でした。


数回デートし、付き合う事になりました。

でも、私は不安でなりませんでした。

『先輩が気に入ったのは、私じゃなく、メールをしていた母。
こんな、お子さまな私じゃ、いつまで続くか分からない。』と思ってました。


案の定、先輩は、身体目的でした。
それでも、私は好きでした。


ある日、学校から家まで先輩が送ってくれた時、「るなの部屋に行きたい。」と言われました。

母から、ずっと、友達を家に入れる事を禁止されていたので、その日は、断ってしまったのです。

数日後、私は、フラれました。


母に話すと、慰めてくれるどころか。
怒られました。
「何でもっと頭使えないんだ?そんだけ好きだったら、身体張ったら、あと数ヶ月はもっただろう?!」
親から、SEXを勧められたのは、初めてでした。


私は、まだ初めてだったので、そんな駆け引きのテクニックなんかありません。

普通、子供に身体張れって勧めますか?


母は、何十年も生きてきて、恋愛経験も豊富だから言えるんです。

それを、子供に押し付けないでほしい。 


母の好みの男だったから、母にとっては、自分の楽しみが無くなったと同じだったんでしょうね。


これ以来、私は彼氏を作るのが怖くなってしまいました。
また、フラれるんじゃないか?
私は、ダメなんじゃないか?


この後も、何度か告白されたり、デートをしてみたりはしましたが。
付き合うまで、なかなか気持ちがいかなくなってしまいました。


親に、恋愛相談をするのは、よくあると思いますが、親が子供の代わりに恋愛をしてはダメですよね。


私は、産後うつなのですが。
うつ病の方、お勧めのサイトありました。
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