母子家庭の毒親の実態

母子家庭で育ち、母が毒親と知るまでの過程や、その実態を書いていきたいです。

祖母が亡くなり、祖父の介護。母のサンドバッグ。

こんにちは。

きょうは、私が小学校に入ってからの事。

私は、おばあちゃん子でした。
何でも甘えさせてくれた、祖母。

そんな祖母が、小学1年生の時、亡くなりました。
くも膜下出血です。

普段通り元気だった祖母が、私の目の前で、突然倒れたのです。
泡を吹いて、痙攣している祖母に、小1の私は、パニックで。
「おばあちゃん?!おばあちゃん?!」と、繰り返す事しかできませんでした。

母が救急車を呼び、一部始終、私はパニックで泣きながら呆然としてる事しかできませんでした。

今でも、鮮明に覚えています。


祖母が無くなってから、祖父が介護になってしまいました。
また、認知症にもなりました。
ヘルパーさんを頼んだりしましたが、介護をするのは、母。

介護は、子供の私から見ても壮絶でした。

徘徊で、お巡りさんのお世話になったり。

排泄が出来なくなり、母が用意した食事に、便をいれたり。
家中に便を塗っていた事もありました。

母は、介護頑張っていたと思います。

でも、認知症の祖父は、近所に「面倒を見てもらえない。」と、言ってまわり。
母は、「ちゃんと面倒みてあげなさい。」と言われる生活。

可哀想でした。
今思えば、よく祖父を殺さなかったな。


母も、介護のストレスがかなりあったのでしょう。
私への当たりが強くなりました。
毎日、母から罵倒され、サンドバッグ状態。

「あんたなんか産まなきゃ良かった!」
「あんたが居なければ、離婚しても、ママは、仕事バリバリできたのに!」
「別れた父親に、どんどん似てきて憎たらしい。」
「まだ、ママに似れば良かったのに、あんたは、まともな子供じゃない!」
等です!


母は、しょっちゅうヒステリックをお起こし、私に泣きながら罵倒。
2~3時間続きました。
これが、一月に何度も。

時には、ティッシュペーパーの箱を投げつけられた事もしばしば。


私は、黙って聞いていました。
母は、「黙ってれば、済むと思ってるんでしょう!何とか言いなさいよ!」

私も、たまに言い返しました。
「私が何を言っても、もっと怒るだけでしょう?
ママは、何て言ってほしいの?」

やはり、ヒートアップ。
罵倒の時間が伸びるだけ。
「だから、何も言いたく無いんだよ。」
私は、そう言って、自分の部屋へ引きこもります。

母は、私の部屋まで追いかけて来て、
「ちょっと待ちなさいよ!」
と、また始まるのです。

毎日が嫌で嫌で、仕方ありませんでした。


いつも母の顔色を伺う日々。
どこに地雷が埋まっているか、わかりませんから、母には、逆らいませんでした。


ある日、私が母に聞いたんです。
「ママは、私を産んだ事、後悔しているの?」と。
母は、「あなたは、私の子供だから、大事だけど、産んで良かったと思った事は、一度も無い。」と言われました。

私は、「嘘でもいいから、「そんな事ないよ。」って、言ってほしかったな。」といいました。
母は、「あなたは、言葉の上っ面だけを信じるから、嘘を言っても仕方ない。本音を言った方が良いと思って。」とかえされました。


子供に、そんな本音、言う必要ありますか?

当時の私は、追い打ちをかけられた様で。
『私は、本当に産まれてきては、いけない子供だったんだ。母に、産んで良かったと、思ってもらえる様に努力しよう。』こう思って生きてました。

今でも、思い出すと、悲しいです。

でも、これが、私の親なんです。

子は、親を選べない。辛いですね。
私も、自分の子供にそう思われない様に、気を付けたいです。